国家規模で計画された官営八幡製鉄所
明治時代になると、鉄道が急速に普及します。さらに、日本国内の工業の発展も重なることで、鉄鋼の需要が急増しました。しかし、その当時の日本は鉄鋼の大部分を輸入に頼っていました。そのため、国策として日本国内での大規模な製鉄所を建設することが決まり、建設地の検討が進められました。最終的に広島県安芸郡、福岡県の北九州に絞り込まれましたが、協議の結果、北九州の八幡に決定しました。
なぜ、北九州の八幡が、日本最大規模の官営製鉄所の建設地に選ばれたのでしょうか? その最大の理由として、製鉄には大量の石炭が必要なことが挙げられます。近代製鉄では、鉄鉱石を高炉に入れて加熱して溶かした後、石炭を蒸し焼きにしたコークスを使用して、鉄をもろくする不純物を除去する必要があります。福岡・北九州の八幡は、製鉄に必要不可欠な筑豊の炭鉱からも近いだけでなく、筑豊を代表する炭鉱家の一人・安川敬一郎を筆頭に、地元関係者の熱心な誘致活動があったことも決め手となりました。
製造に必要な水と石灰石も豊富だった
製鉄の過程で必要となる石灰石と大量の水も入手しやすい立地だったことも有利に働きました。製鉄には冷却水として大量の水が必要となりますが、北九州八幡は水が豊富です。また、製鉄の過程で石灰石を加えることで、鉄鉱石に含まれる鉄以外の成分を取り除く必要がありますが、石灰石は北九州の平尾台、隣県・山口県の秋吉台で豊富に採れるのです。
当時、製鉄の原料となる鉄鉱石は主に中国から輸入していたのですが、北九州の洞海湾*は中国に近く、鉄鉱石の輸入に適した港湾でした。さらに、戦争が起こった際に建設地の近くの洞海湾が敵国の戦艦が容易に近づき難い形状であることも大きかったと言われています。
*洞海湾:洞海湾は、福岡県北九州市の北西部に位置する幅数百メートル、長さ10キロメートルほどの細長い湾。