衰退してしまった鉄の街、北九州
北九州市発表資料によれば、2022年2月1日時点の北九州市の人口は約93万人(92万9,113人)。一方、福岡市の2022年7月1日時点の人口(福岡市発表資料による)は約163万人(162万9,129人)でした。北九州市の調査結果では、2040年には、北九州市の人口は78万4千人と、ピーク時の約74%にまで減少すると予測されています。
北九州市は、1963年には三大都市圏を除く地域では初の政令指定都市に移行(都道府県庁所在地以外および本州以外の都市としても初)後、1979年には、人口106万8千人とピークを迎え、同年、福岡市に抜かれました。当時、九州地方最大の人口を誇った北九州市は、なぜ衰退したのでしょうか?
エネルギー革命が衰退
まずは、1970年代に燃料の主流が石炭から石油に移り変わる『エネルギー革命』が始まったことが挙げられます。その結果、筑豊炭田は急激に衰退することになり、北九州地域経済に決定的な打撃を与えました。また、北九州工業地帯は、関東、関西、東海の巨大消費地から遠いこともあって、地元資本の企業以外は、設備が老朽化しても(他の工業地帯や工業地域に比べて)新技術の導入が遅れることになりました。これらの理由から、北九州は基幹産業の衰退と共に、工業都市としての地位も低下していきました。
また、山陽新幹線の開業、航空機の普及によって、九州の中心都市が北九州から福岡市に移り変わったことも大きいです。1972年に山陽新幹線が開業すると、九州の玄関口としての鉄道ターミナルは、北九州の門司や小倉から博多へと移り変わりました。さらにジャンボジェット機の登場で運賃が低下することで、航空機が普及したことが決定的でした。当時、北九州には滑走路が1600メートルと短く、ジェット機が発着できない曽根飛行場しかなく、北九州にジェット機が就航するのは1991年になってからです。その一方で、福岡市には、最初からジェット機が発着できる福岡空港がありました。福岡空港は鉄道ターミナルの博多駅から二駅と近く、東京・福岡間の出張にも便利ということで、多くの企業は北九州でなく、福岡市に九州の拠点を置くことになったのです。
再開発を進めるも不振に終わる
北九州市は衰退の流れを止めようと、1986年に都市計画構想『北九州市ルネッサンス構想』を打ち出し、小倉駅を中心とした都心、黒崎駅を中心とした副都心の二極を中心にコンパクトシティを作っていこうとしました。さらに、鉄道・空港・海運などのインフラ整備、環境重視政策、商業復活のための施設建設、大学などの教育・研究機関の誘致、高齢者や障碍者の福祉などの政策も打ち出しました。しかし、施設を運営する第三セクターの経営破綻などもあり、多くの不良債権を残す結果に終わりました。
《出典》北九州空港が変える福岡市と北九州市の将来 アジア成長研究所 八田達夫